ラダックで過ごした1ヶ月間を振り返ると、
幻想的な夢を思い出すような、せつないような、何とも言えない気持ちになる。
写真を見返すと、胸が熱くなってため息がでるほど。
必ずまたあの土地へ戻りたいと、こんなにも強く想わせる場所は初めてだった。
それはもうほんとうに恋に近いような感覚。
まずはそんなラダックへ辿り着くまでのお話。。。
ラダック(Ladakh)は、インドとパキスタンとチベットに囲まれた
ジャンムー・カシミール州の東部に位置し、国としてはインドなのだが、
西のカシミール地方はイスラム教、東のラダック地方は仏教、と様々な思想が隣接する。
そのため、ラダックの至る所にはゴンパ(チベット寺院)が多数見られ、
他国の侵略を受けていないため、チベット自治区のラサよりもチベットらしい
古い文化が残っていると言われている土地だ。
歴史あるゴンパはもちろん魅力的だが、なによりヒマラヤ山脈とカラコルム山脈の間の
インダス河源流に位置する高山地帯ラダック。
景観がどうやら別次元らしい。
前リサーチはあえてせず、とにかくラダックの中心都市、レー(Leh)を目指す。
目覚めると雪景色 |
ラダックへの行き方は3種類。
①デリーから飛行機でひとっ飛びするか、②カシミールから陸路で入るか、
③7月〜9月の雪が溶ける期間しか通れない、レー・マナリハイウェイを利用するか。
金銭面とルートの関係で、考える間もなく③に決定。
だけどこのときの日付はまだ6月半ば。
暖冬でハイウェイがすでに開通しているとの風の噂を頼りに、いざローカルバスへ!
マナリで一泊し、まだ夜が明けない午前4時、半目でふらふらとバスへ乗り込む。
このバスがレーまで直行するのではなく、まずはキーロン(Kelong)という町まで
うまく行けば6時間で着き、そこで一泊。
そして翌朝別のバスでうまく行けば12時間でレーに到着するという道のり。
この感じでうまく行った試しはここまでないので、長期戦になる準備は整っていた。
ぐっすりと車内で爆睡してパチッと目覚めると、なぜかバスは完全に止まっていた。
辺りを見渡すと、すっかり雪景色。
バスの車窓から |
渋滞にはまっているのはすぐに理解したが、しばらくバスは1ミリも動かない。
10分、20分、1時間経ってもまだ動かない。もう皆しびれを切らして外に出ている。
先を歩いて様子を見にいってみると、道の幅は車一台しかないのに、
両者譲らず無理やり通行しようとしていた。なんと横着な。。。
いやムリでしょそれは |
この道中、何度もこのような大渋滞に巻き込まれた。
原因はすべて、譲り合いの精神の欠落。
双方が一悶着し、第三者が立ち入り、解決策にたどり着くまで、かなりの時間を要する。
もちろん全員がではないけど、これにはさすがにインド人の国民性を感じた。
とりあえずやっちゃえ!っていう後先考えない勢いと、
こうなってしまったら仕方ないっていう変な開き直り。
これを逆のベクトルに作用させたら、インド人のパワーは底知れないんじゃないかと思う。
もったいない、とここで一歩引いて思うのもまた、私の日本人的国民性かもしれない。
こんなことをあーだこーだ議論しつつも、この渋滞ドライブのおかげでいいこともあった。
バスが停車し、あぁまたか。とすっかり慣れた調子で外に出ると、
一気に曇り空が晴れて太陽が出てきた!
真っ白な雪の上を、雲の黒い影が模様のように動き、流れゆくのをじっくり眺めていると、
焦りや苛立ちはすっーと消えていった。
壮大な自然を前に、こんな感情は必要がなかった。
ここでは渋滞に感謝 |
12時間後、無事キーロンに到着。
次のバスは翌朝5時発なので、ベッドとシャワーで体を休める。
キーロンの孫とおばあちゃん |
そして翌朝、時間どおり荷物をまとめてバス乗り場へ行くと、
雪が晩にまた降り積もったからバスが動けずにいるとの一報。
結局その後、いつ来るか分からないバスを待つことキーロンでさらに2日。。
大雨でキーロン散策も出来ないため、ひたすらトレッキングブックのラダックパートを読み耽る。
キーロンでの3日目の朝。
待ちに待ったラダック行きのバスが到着。
インド人と互角に張り合い、なんとか座席を確保し
やっと乗車したバス内は、なぜかガソリンの匂いが充満していた。
半日走り続ける為のガソリンを、プラスチックのタンクに入れて座席の真ん中に
どんと置いてあって、そこからガソリンが漏れていたのだ。
仕事が雑すぎる。
エリオットとジェリーがその辺にあったロープでガソリンタンクを動かないように
固定しているのも関係なく、バスは発車した。
改めてみると、結構ボロいね |
走り出してほっと一息着いて外を見ると、山の景色は一変した。
何時間も何時間も、外の景色に釘付けだった。
緑色の山だったのが、グラデーションの砂漠になり、赤色の土になる。
目まぐるしく姿を変える山から、一瞬でも目を離したくなかった。
ここは地球じゃなくて、火星かどこか違う星といった方が納得がいくほど、
私の想像を遥かに超えた世界が目の前にあった。
緑の山 |
砂のグラデーション |
12時間バスは走り続け、辺りはもう真っ暗。
暗闇の断崖絶壁を、驚くスピードでバスはすり抜けていく。
谷底に転落した数々のトラックやバスの残骸が脳裏をよぎり、恐怖感はどんどん増す。
もう夜は止まってくれーと念じていると、急にバスが止まった。
軍隊あがりと思われる体格の角刈り運転手さんが、
「 今日はここに一夜明かして、明日の朝5時にバス集合。解散!」と車内の皆に言った。
前方をよく見ると、暗闇にライトがぽつぽつと浮かんでいる。
標高約5000m。今晩の宿は、砂舞う中のゲル式テントだ。
暗くて顔も見えない中、ふらっと現れた少女に手を引かれ、ベッドが空いているゲルに案内された。
中へ入ると、チベット民族衣装をまとった90歳近いおばあちゃんと
10代の少女が私たちを迎え入れ、夜中にも関わらず手際良く夜食を作ってくれた。
集落さえもない人里離れたこの地で、一時休憩する旅中の私たちを
原住民の彼らはとってもあったかく家族のように受け入れた。
チャイを待つジェリー |
就寝前、強風がテントを鳴らす音でより凍えが増して、布団にぎゅっと包まっていると、
おばあちゃんが私にもう一枚毛布を丁寧にかけてくれた。
甘えたくなっちゃうようなほっこり幸せな気持ちに包まれて、
高山病で嘔吐する人々の呻き声も気にかけず、一瞬で夢の中へ。
バスの仲間たち |
翌日、バスはさらに走る。
順調にバスは高度を上げ、このレー・マナリハイウェイの最高標高地点、5330mに近づいてきた。
徐々に雪は深くなり、ついには車道も完全に雪に覆われ、
タイヤが雪にすっぽりハマってしまった。
少しバックして雪のもっこりを乗り越えようと勢いをつけるが、なかなか進めない。。
ここで困ったときの助っ人登場!
角刈り運転手さんの隣の席には、相棒と思われる小柄で
ぽっちゃりしたおじいちゃんがずっといて、
長い道中の運転手さんを支えているようだったのだが、
なぜかこの一番の難所で、まさかの運転手交代。
角刈り運転手さんが外へでて誘導、おじいちゃんがハンドルを握るというフォーメーション。
このアナログなバスの運転をおじいちゃんが出来るとはどうしても思えなかったため、
車内には不穏な空気が充満した。
なんせ道幅はバス1台半、左サイドは崖。
頼むから左には滑らないでと皆が心から願っていた。
おじいちゃんがギアを引いた瞬間、嫌な予感的中。
タイヤがスリップし、バスが急降下!
車内からは「 Ohhhhhhhhhh!!!!!!!」と声が上がり、思わず皆立ち上がる。
急停車した後、おじいちゃんはまるで何もなかったかのように、
雪を乗り越えようとアクセルを力強く踏み込む。
だが何度トライしてもやっぱり乗り越えられない。
車体は氷状の雪の上で左右に大きく揺れる。
失敗は許されないという緊張感はみな同じ。
バスを軽くするため半分の乗客は外に出て、残り半分の人は車内でジャンプして
勢いをつけて雪を乗り越える作戦に変更する。
私はスリップの感覚が怖くなり、車外へ飛び出た。
そしてアニメのように上下に動くバスは、ついにもっこり雪をクリア!
乗客が歓声を上げ、おじいちゃんもご満悦の表情。
みんなが一帯になった瞬間だった。
そのまま走り続けるバスに追いつくため、ちょっと早足で歩くと、
数歩歩いただけで息切れし、標高5000m超えの威力を体感した。
ラダックに着いたら、こうゆう場所へ登山キャンプしにいくかと思うと、少し不安になった。
レーはすぐそこ! |
雪山を過ぎた後は、家がぽつり、学校がぽつり、集落がぽつり、人の気配が見る見るうちに近づいてきた。
そして数時間後、待ちに待ったレーへ!!
予想以上の栄えた街で、人の雰囲気も空気もとても特有の場所。
好奇心をそそるものが溢れている。疲れを感じないくらい舞い上がっていた。
ラダックへの思い入れをより強くしてくれた、3泊4日のバスの旅。
ラクにすんなり行けるより、予期できないハプニングあってこその旅だ。
この土地に私を導いてくれた、すべてに心から感謝をした。
welcome to Leh!! |
さぁ、ヒマラヤ登山を締めくくる、集大成トレッキングへ!!
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