インドの旅中、私たちが所持していた情報ツールは、
電話のみ使える携帯電話:エリオットが1台、ジェリーが1台。
ヒマラヤトレッキングガイドブック:エリオットが1冊、ジェリーが1冊。
( 荷物が重くなるのを避けて、私は両方持たず人任せ )
そのため、ヒマな時間の唯一の楽しみは、3ヶ月間トランプとトレッキングガイドブックだけだった。
トレッキングブックは隅々まで何度も読み、読めば読む程ルートと山を理解していくように感じていた。
が、今回のトレッキングで、ガイドブックは決してガイドではなく、ただの本だということを、がっつり思い知らされることになる。。。
リシュケシュからバスで約8時間北東へいったウッタラカシという街から、
そこ行くの?!という道をさらにジープで1時間走った先に、ぽつんとひとつ佇む売店みたいな小屋が。
ここが今回のスタートポイント、らしい。
そこ行くの?!という道をさらにジープで1時間走った先に、ぽつんとひとつ佇む売店みたいな小屋が。
ここが今回のスタートポイント、らしい。
過去2回のトレッキングとは、雰囲気がかなり違う。登山風な人、いや人自体いない。
ガイドブックには、‘橋を渡って対岸へ...’ と書いてあるが、その橋は見事に大破していた。
橋の残骸 |
今回の登山メンバーは、いつものエリオットとジェリーに加えて、
この前のガンゴートリーで出会ったカナエちゃんも一緒に。
この前のガンゴートリーで出会ったカナエちゃんも一緒に。
川で水分を補充して、さぁ出発!
暑さに冷たい川の水が染みる |
5月も終わりがけ、標高1200mでもかなり暑く、汗がどんどん噴き出してくる。
そして数時間ひたすら上り坂が続く。山の登り始めは、やっぱりいつもキツい。
道は登山道というよりも、周辺の村の人たちの通り道といった感じで、しょっちゅう枝分かれしていた。
だけどなぜだか、この道はどっちかなぁ〜と迷っていると、大概タイミングよくどこかの村人が通りかかる。その度村人に道を教えてもらい、君たちどこへ向かってるんだ、
今年はまだ雪がかなり残っているから気をつけろ、などど立ち話をしながら先へ進んだ。
今年はまだ雪がかなり残っているから気をつけろ、などど立ち話をしながら先へ進んだ。
山々を一望できる場所で食べるターリーは格別で、おかわりが止まらなかった。
みんな、永遠に食べていられそうなくらいの勢い。
もう十分に満足したところで、日が暮れる前に村を散歩することにした。
子供いっぱい |
この村の端から端までは、徒歩で10分くらい。外国人が来ることが珍しいのか、
照れながらもみんな興味津々。
子供たちは一定の距離を保ちながら、ずっと後を付いて来る。なんて愛らしい。
振り向くと柱の影から覗いてる |
歩いていて見かけるのは、小学校くらいまでの小さな子供と女性たちで、
男性の姿がまったく見当たらなかった。
女性と子供は、畑を耕したり、牛をひいたり、山菜を摘んだり、せっせと働いている。
男性たちは何をしてるんだ!と思ったけど、夜になるとちらほら見掛けたので、
山のふもとの街で出稼ぎしていたんだと気付いた。
通勤は彼らの足でも、往復徒歩6、7時間はかかるだろう。
美しい山に囲まれたのどかな暮らし。その裏には大変なことも沢山あるのだろうけど、
この村で生まれ育った彼らからは、心のあたたかさがとっても感じられた。
一階に家畜、二階が住まい |
しっかりお手伝いする女の子たち |
今まで巡ってきたインドの街では、英語で意思疎通できる人がどこでもいたので、
言葉の不便をほとんど感じていなかったのだが、この村の人たちは数字でさえ英語が伝わらなかった。
そして初めて、自分がいかに英語に頼っていたかに気付く。
ここは英語圏じゃない、インドだ。
この日からヒマな時間の過ごし方に、トランプとトレッキングブック、そしてヒンドゥー語の勉強が加わった。
明日はさらに山の奥地へと進みます。その2へつづく。
0 コメント:
コメントを投稿