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2014/01/31

ヒマラヤを歩く 〜シッキム編〜その1


人生初の連泊登山の始まりは、インド最北東部のシッキム州。


ブータン、ネパール、チベットに囲まれたこの州は、1950年にインドへ
併合されるまでシッキム王国という独立国家だったというだけあって、
二カ所の国境ならぬ州境があり、入域許可書を得て15日間のみ滞在ができる。

パスポートチェックをしてシッキム州へ入った途端、突然森の緑色が深くなり、
インド特有の埃っぽい空気から透明な空気に変わったように感じる。
人は私たち日本人に近いアジア系が大多数で、
宗教もヒンドゥー教から仏教へとがらっと変わる。
どこか別の国へ来たような感覚。


普段着ならキマりまくり。お店のスナック袋は気圧のせいでパンパン



















標高1780mに位置する州都ガントクのホステルの部屋の窓からは、
めったに見れないという世界第3の高峰カンチェンジュンガ (8586m)が運良く見えた。


奥の真っ白の山がKangchenjunga

















そう、初のトレッキングは、このカンチェンジュンガに限りなく近付くのだ!


この日のために日本で軽登山を繰り返し日々トレーニング、、、
ということは一切なく、まったくの未経験状態で標高4940mのゴーチャ峠を目指す。

こんなにいきなり登って大丈夫なのかと自分で思いつつも、
自分の限界を試したいという修行に近い願望のみで、ガントクからジープに
揺られること約6時間、トレッキングスタートポイントの小さな村、ヨクサムへ到着!


ジープでの道中。景色を見てたら全然飽きない。















それまで周りが寝込んでも吐いても私だけピンピンしていたにも関わらず、
よりによって登山初日の早朝、ついに噂のデリーベリーに見舞われる。

何とか気のせいってことにしようと努力するが、隠しきれない最悪のコンディション。
とはいってもタイムリミットがあるし、この登山はガイドやポーターと一緒でないと
入山できないため、既にすべてオーガナイズ済み。
状況を受け入れて、とりあえずやってみようの精神で歩き出す。


今回一緒に歩くのは、パートナーのエリオット、エリオットのイギリスからの
友人ジェリー、そして地元ガイドの大学生チリン。
荷物は、ヤクと地元のポーターさんに任せる。

いくら仕事だといっても、か細身体で私たちのバックパックや料理器具などの入った
30kg以上の竹籠の紐をおでこに引っ掛けて持ち (エリオットは持ち上げることすら
できなかった)、ゴムの長靴やサンダルで地道に歩く姿を見ると、何だか申し訳なく思った。

この人たちがこの山に登るのは、私たちみたいな登山客のためで、娯楽のためではない。
この数日後、今回初めてポーター仕事をした地元の青年がひどい高山病になって、
仲間に担がれて下山するとき、
「もうこんな仕事、絶対したくない」と嘆いていたのが印象的だった。


荷物を運んでくれたヤクさん、ありがとう
















そんなことをあれこれ考えながら歩いていたのだけれど、
ひたすら続く岩場の上り坂を歩き進めるにつれて、徐々に思考回路が働かなくなってきた。

息が上がり、普通に呼吸ができない。
小雨も降り出し、足場がどろどろになってさらに歩きずらくなる。
馬、ロバ、ヤクの巨大な糞を避け、滑らない岩を一瞬で見分けながら一歩ずつ進む。
とにかくお昼ごはんの休憩ポイントまで、という想いだけで約3時間耐えた。


休憩ポイントに着き、とりあえず泥で汚れたベンチの上に傾れ込む。
呼吸を整えながら、一緒にお昼を食べるインド人グループを待つ。
頭がぼっーとして、胸がぎゅーっと押される感覚。今思うと、高山病の始まりだった。

お昼ご飯中、ヒルがエリオットの靴下の中に忍び込み、血を吸われる事件発生。
その場にいた全員が急いで靴と靴下を脱いだら、あと二人のインド人もやられていた。
トレッキングシューズをよじ上り、靴下の中まで侵入し、ナイフで切らないと
取り除けないやっかいなやつで、それからは常にヒルがくっついてないか
注意しなきゃいけなかった。
ヒルなんてスタンドバイミーのイメージでしかなかったけど、実際出るとほんとに懲りた。
思い出すだけでぞくっとする。


そんなことがありつつもお昼休憩にゆっくり休めたおかげで、だいぶ体力は回復し、
初日のお泊まりポイントまでの4時間ほどを何とか歩き切った。

運良く山小屋も一部屋空いていて、室内で横になれることがとても有り難くって、
時間を忘れてぼーっと寝転んで、疲れた身体を休めた。
部屋にはベッドというよりも木の固まりとロウソクがあるだけだったけれど、
その時は三ツ星デザイナーズホテルに泊まるくらいの嬉しさがあった。




屋根と壁とロウソク、ありがたや〜















その日の晩ご飯は、ダル、サブジ、お米、チャパティー、とすごくベーシックだけど
山ご飯とは思えないほどしっかりとした晩餐だった。
ポーターとガイドの皆は、山小屋に到着すると同時にご飯の支度にとりかかり、
まず先に私たちへ食事を出してくれる。本当にありがたい。
明日のためにしっかり食べとかなきゃいけないと分かりつつ、
疲れと高山病のせいで食欲が全然なくて、ご飯に手を付けられずにいたら、
ガイドのチリンが果物を切ってさりげなく私に持ってきてくれた。
シャイだけど男らしい年下のチリンが時折見せる無邪気な笑顔に、何度助けれただろう、
いや、何度キュンとしたか。


晩餐会。実際はローソクとヘッドライトの灯りだけ



















寝袋にくるまれてぐっすり眠って、次の朝は太陽の光で目覚めた。



ユートピア














何かが光臨してきそうな光景に目を奪われながらも、せっせと出発の準備を済ませ、
1日目をはるかに越える苦闘の一日がスタートする。。


その2へつづく。


Some of photos from Jeremy 


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