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2014/02/23

ヒマラヤを歩く 〜楽園、そして遭難編〜最終章


朝、自然と早くに目が覚めた。
とりあえず、一晩動物が襲って来なかったことに安堵する。

匂いを嗅ぎつかれないよう、テントから少し離れた岩場に持っていた食料を
全部隠しておいたのだが、ナッツとチョコレートの袋が丸ごと跡形もなく消えていた。
あれだけがっちり隠しておいたのにどうやって。。。

今日の為に大事に大事にセーブしておいた貴重なチョコレートを全部盗まれたのは
かなりのショックで、特にメンバー1の食いしん坊ジェリーのテンションの下がり様
ったら並大抵じゃなかった。
この状況での、食べ物の恨みはおぞましい。


盗難のおかげで、今日一日の食料は薄っぺらいチャパティ一人一枚ずつ。
この日の昼過ぎに予定どおり目的の集落へ辿り着くと信じて、
味気のないチャパティ半分をありがたく頬張り、静かにスタート。


昨晩の作戦会議で、私たちは残雪を回避するため山を下りすぎたと判断し、
また山のトップへ登ることに。
昨日のハードなトレッキングによる疲労と足の痛みを感じる。
とにかく尾根にトレイルがありますように。と強く願いながら登っていく。

朝一番の急な登り坂にぜーぜー言いながらトップへ到着すると、、、

あった!!!!!!!!

うっすらとトレイルが尾根に続いている。半日ぶりに見るトレイルに、皆で大喜びする。

よくみるとトレイルが!

















これを辿っていけばなんとかなる、助かった。。。と一気に気が緩んで、涙が込み上げた。
皆の足取りも急に軽くなり、小走りで先を急ぐ。

が、喜びもつかの間、進むにつれてトレイルがどんどん薄くなってきた。
そしてついにはトレイルは崖に行き当たり、それ以上進めなくなってしまった。

作戦立て直し

















はぁ、今日もまた迷うのか、、と全員落胆の色と不安を隠しきれずにいたが、
そうとなれば休んでいる暇もない。山の頂上から先を見渡すと、
ふもとに集落らしきものを確認することができた。
どうやって行くかはさっぱり分からないけど、とにかく向かうはあの方角だ。

来た道を引き返し、ふもとへ下れるルートを探す。
しかしこの辺りから、エリオットとジェリーの意見が少しずつ割れ出した。
エリオットはできるだけ山の尾根をキープして歩こうと言い、
ジェリーは先に山を下って川に沿って歩こうと言う。


まずジェリーのいうように山を下ってみたが、木の茂みを切り傷だらけになって
かき分けていった先は急な崖になっていて到底進めず、また引き返すことになった。
1時間半のロス。フリだしに戻り、体力だけが奪われていく。喉もからからだ。
だけど、責任を感じているジェリーを誰も責めることはしない。
行ってみないと何も分からないのは、みんな百も承知なのだ。

次に、エリオットのいうルートへ進む。
ガイドブックには、‘かなり急降下なガリー(小峡谷)をくだる’と載っていた。
これがそれなのか?というような、流水によって出来た深い溝を発見したので、
とにかく下ってみることに。

・・・・・

だけど途中で、これはガイドブックのいっているガリーじゃないなと全員が確信する。
あんまりにも急降下なのだ!!
枝や木にぶらさがりながら着地点を確保し、泥まみれになってズレ落ちながら下る。
オロナミンCのCMの感じを想像してもらうのが一番的確だろう。
普通に立ってられる場所などない。とにかく無心で、転落しないように全神経を集中させる。


なんとか無事に山をひとつ下り終え、そこからは森ゾーンへ突入。

人が通ったような跡を見つける度、頼むから消えないで!と心の中で祈るが、
その願いはすぐに打ち砕かれる。それの繰り返しがひたすら続く。
たまに「HELPーーー!!!」と叫んでみるが、応答はない。
まさか自分が、たすけてーー!と大声をあげることになるとは思いもしなかった。

雪解け水で水分補給


















到着予定時間になってもまだ全然先の見えない状況に、皆の焦りと不安が濃くなっていく。
気持ちがいっぱいいっぱいすぎて、空腹感や荷物の重さはまったく感じない。必死だった。

今まで私たちを引っ張ってくれていたエリオットとジェリーの意見は完全にすれ違い、
ついには口論になり始めた。お互い疑い深くなったり、感情を制御できなくなっていく。
こうゆうときこそしっかりしなきゃ!となるだけポジティブにふるまうが、あんまり効果がない。
自分自身も不安は隠し切れていなかった。

立ち止まっていても仕方がないので、ただ前へ前へ歩く。
朝からほぼ休憩なしに、歩き出して10時間経とうとしていた。


すると突如、森の中にテントを発見!人もいる!
すぐに私たちはそこへ駆け寄っていった。

民族?コミュニティ?

















と同時に、テントの人々も私たちの周りに集まってきた。
長老みたいなおじいちゃんから、青年、生まれたての赤ちゃんまで20人くらいいる。
状況を説明しようとするが、英語もヒンドゥー語もまったく伝わらない。
服は白い布をまとっただけのシンプルなもので、彼らはとても独特な雰囲気を醸し出していた。
とりあえず何か食べていけ、と言っているようだが、周りにいる家畜のヤギは血だらけで
(なにかの病気?)、おばあちゃんは私たちに薬をくれとせがんでくる。

悪い人たちではなさそうだが、ここでご飯を頂くのはちょっと怪しいぞと思い、
道だけ聞いてお礼をいい、その場をそそくさと立ち去った。
せっかく人と出会えたのに、これでよかったのか。
少々名残惜しくも、あまり長居してはいけないと全員が無言で判断するような
空気感だったため、仕方がない。


ここからは、地元の人が通った跡が何本にも枝分かれしていて、
進んでは行き止まり、また別のトレイルを試しては行き止まり、、の繰り返し。
もう、自力で帰れるような場所ではないのは明らかだった。

太陽もいよいよ傾きはじめて、もうテントを張り出さないと
暗くなってしまう時間になってしまった。
あぁ、今日も辿り着けなかったのか、明日もまだ迷うのか、、と思うと、
恐怖感が押し寄せてきた。

テントを張れる平坦な場所へ引き返そうとしても、
パニックになって、同じ道へさえうまく引き返せない。
どんどん森の深みへとハマっていく。

そしてそこが前に通った場所かどうかかも判断がつかなくなってきて、
エリオットはこの道で合っていると直進し、ジェリーはさっきの道を探しにいくと
違う方向へ行き、ずっと前向きだったカナエちゃんまでも膝の痛みで遅れをとりだし、
みんなの行動と心がとうとうバラバラになってしまった。

あぁ、もうどうしたらいいんだろう!!と絶望的になっていた時、
100mほど先の山の上から、何かが駆け下りてくるのが見えた。

人だ!!!!!!!

私たちは「ヘルプ〜〜〜〜〜!!!」と大声で叫びながら彼らへ向かってダッシュした。
彼らはそれに気付くと足の速度を緩め、私たちの話を聞いてくれた。

彼らは男性ひとりと、女性ふたりの3人で、背中に竹カゴを背負っていた。
そして運がいいことに、私たちが死ぬ程辿り着きたかった集落へ戻る途中だったのだ!
一緒に連れて帰ってほしいと懇願すると、英語を少し話せる男性があっさりと、
「オッケー!レッツゴーー!!」とえらいハイテンションですぐに歩き出した。

「日没が近いから、急いで戻るぞ」と、走る勢いで山を下る3人に、必死で付いていく。
どこにこんな力が残ってたのかというくらい、私たちの足取りは軽かった。

数分前と180度状況が変わったので、助かったんだと実感するまで少し時間がかかった。
彼らはこの日一日中薬草を摘んでいて、今日はいつもより遅くなっていたらしい。
なんというタイミング!!

1時間半後、彼らの集落が見えてきた。
ほっとしたせいか、足がロボットのようにがくがくし、疲れがピークに達した。
着いた。。ほんとに助かった。。。喜びを噛みしめた。


真ん中の男性が命の恩人!


















集落の中へ入っていくと、思いがけない訪問者にどこからともなく人が集まり、気付けば
ドロドロでボロボロの私たちの周りは、人でいっぱいになっていた!

子供から老人まで、とてもあったかい視線を私たちに注いでいた。
まるで、よくここまで頑張って来たね、と言ってくれているような歓迎ムード。

この晩、プロモード(助けてくれた男性)が、彼の部屋に私たちを泊めてくれた。
冷水のシャワーがあんなにも気持ちよかったことはなくて、
プロモードの奥さんが作ったターリーは格別に美味しかった。
すべてがただただありがたい。
ありがとうとおいしいを連呼して何度もおかわりする私たちを、
プロモード夫婦は嬉しそうにニコニコと眺めていた。


プロモードの部屋


















私たちの泊まるプロモードの部屋には、夜遅くまで子供と女性たち(皆近所の人)がたくさん押し寄せて、
皆から集落の話を聞いたり、プロモードの結婚式の写真を見せてもらったりして、
言葉はほとんど通じなくとも終始笑いが絶えない賑やかな夜になった。
前晩の4人だけの静かな晩餐がウソのように感じた。


けん玉披露

















翌日、お世話になった皆に何度もお礼を告げて、この集落を去った。
次は元気な状態でお土産を持って、また必ず戻りたい。
そうゆう場所が出来たことを、うれしく思う。


たまらなくかわいい


















山を下山して、下界へ戻っていく。ここ数日間の経験が現実離れしていたせいか、
いつもどおり動く世界が客観的に映り、ぽかんとしてしまう。
チョコレートだって何だって、どこでも簡単に手に入る。

当たり前のように食べて安心して眠れることがどれだけありがたいか。
当たり前のように明日も生きていることがどれだけ幸せか。

もしもあの時、霧や雨だったり、誰かがケガして動けなくなったりしていたら、
本当に今どうなっているか分からない。すべてはまさにタイミング。



あんなサバイバル体験はもう二度としたくないけど、
窮地に追い込まれたときに感じ得たことは計り知れない
死を身近に感じることは、生を実感することだと知った。


自分の生活に関わるすべての物質と人へ、心からの感謝を忘れずに。
そして、もう決して山を甘く見ません!!



めでたしめでたし。




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