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2014/02/07

ヒマラヤを歩く 〜楽園、そして遭難編〜その1


インドの旅中、私たちが所持していた情報ツールは、
電話のみ使える携帯電話:エリオットが1台、ジェリーが1台。
ヒマラヤトレッキングガイドブック:エリオットが1冊、ジェリーが1冊。
( 荷物が重くなるのを避けて、私は両方持たず人任せ )

そのため、ヒマな時間の唯一の楽しみは、3ヶ月間トランプとトレッキングガイドブックだけだった。

トレッキングブックは隅々まで何度も読み、読めば読む程ルートと山を理解していくように感じていた。

が、今回のトレッキングで、ガイドブックは決してガイドではなく、ただの本だということを、がっつり思い知らされることになる。。。


リシュケシュからバスで約8時間北東へいったウッタラカシという街から、
そこ行くの?!という道をさらにジープで1時間走った先に、ぽつんとひとつ佇む売店みたいな小屋が。
ここが今回のスタートポイント、らしい。

過去2回のトレッキングとは、雰囲気がかなり違う。登山風な人、いや人自体いない。
ガイドブックには、‘橋を渡って対岸へ...’ と書いてあるが、その橋は見事に大破していた。

橋の残骸























今回の登山メンバーは、いつものエリオットとジェリーに加えて、
この前のガンゴートリーで出会ったカナエちゃんも一緒に。
川で水分を補充して、さぁ出発!

暑さに冷たい川の水が染みる

















5月も終わりがけ、標高1200mでもかなり暑く、汗がどんどん噴き出してくる。
そして数時間ひたすら上り坂が続く。山の登り始めは、やっぱりいつもキツい。

道は登山道というよりも、周辺の村の人たちの通り道といった感じで、しょっちゅう枝分かれしていた。
だけどなぜだか、この道はどっちかなぁ〜と迷っていると、大概タイミングよくどこかの村人が通りかかる。その度村人に道を教えてもらい、君たちどこへ向かってるんだ、
今年はまだ雪がかなり残っているから気をつけろ、などど立ち話をしながら先へ進んだ。
その時は、村人たちを忠告を深く気にしていなかった。

森の中を抜け、視界が開けると、山の反対側に村が見えた。
今日のお泊まりスポットだ!



集落2つ発見!

















村にはひとつだけゲストハウスがあって、もちろんお客は私たちだけ。
他の部屋は子供たちの遊び場になっているようで、子供たちが常に周りを走り回っている。

カナエちゃんに照れる村の少年

















山々を一望できる場所で食べるターリーは格別で、おかわりが止まらなかった。
みんな、永遠に食べていられそうなくらいの勢い。
もう十分に満足したところで、日が暮れる前に村を散歩することにした。


子供いっぱい


















この村の端から端までは、徒歩で10分くらい。外国人が来ることが珍しいのか、
照れながらもみんな興味津々。
子供たちは一定の距離を保ちながら、ずっと後を付いて来る。なんて愛らしい。


振り向くと柱の影から覗いてる

















歩いていて見かけるのは、小学校くらいまでの小さな子供と女性たちで、
男性の姿がまったく見当たらなかった。
女性と子供は、畑を耕したり、牛をひいたり、山菜を摘んだり、せっせと働いている。
男性たちは何をしてるんだ!と思ったけど、夜になるとちらほら見掛けたので、
山のふもとの街で出稼ぎしていたんだと気付いた。
通勤は彼らの足でも、往復徒歩6、7時間はかかるだろう。

美しい山に囲まれたのどかな暮らし。その裏には大変なことも沢山あるのだろうけど、
この村で生まれ育った彼らからは、心のあたたかさがとっても感じられた。


一階に家畜、二階が住まい

しっかりお手伝いする女の子たち


































今まで巡ってきたインドの街では、英語で意思疎通できる人がどこでもいたので、
言葉の不便をほとんど感じていなかったのだが、この村の人たちは数字でさえ英語が伝わらなかった。
そして初めて、自分がいかに英語に頼っていたかに気付く。
ここは英語圏じゃない、インドだ。

この日からヒマな時間の過ごし方に、トランプとトレッキングブック、そしてヒンドゥー語の勉強が加わった。

明日はさらに山の奥地へと進みます。その2へつづく。

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